[ふたりで歩く道]





「…海野先生、一体どうしたらこんな風になるんですか…?」

生物研究室の机や床に、どっさりと積み上げられた本やらプリントやら…その他諸々の山を目にして、俺は溜息を吐いた。

「ご、ごめんねぇ…伊藤君…」
顔の前で両手を合わせて謝るのは、この学園の生物担当の教師。
丸い眼鏡を掛けていて、童顔で小さくて…とてもじゃないけど24歳になんて…年上になんて、見えない。
生徒の方が余程大人っぽく見える。
こんな容姿で、それでも生物学の世界ではなかなかに有名なんだって言うから。
『人は見かけによらず』…だ。



放課後、手芸部に向かう和希と分かれて、一人で廊下を歩いていたら、
反対側からぶ厚い本を何冊も抱えてヨロヨロ歩いてきた海野先生に会って。
聞けば、それまでやっていた研究が一段落して、使った資料の片付けをしているんだって言うから。
俺、この後何も用事無いから手伝いますよ、と研究室まで付いて来てみれば…。
……何なんだ、この有様は。
一瞬、くらりと眩暈がした。
俺だって…そりゃ、あんまり片付けは得意じゃないから。寮や実家の部屋は、それなりに散らかってはいるけど!
ここまでは酷くないぞ?!絶対!!


「図書館の地下の、書庫から持ってきた」
…のだと言う、古そうで普通じゃない厚さの本と、何やら数式や図形が書き並べられた多量の紙と。
ビーカー、試験管、………あとは良く分からない器具、たくさん。

「じゃ、じゃあ…俺はまず本を集めて返却してきますから、先生は使った器具から片付けて下さい」
こっちは俺がやって壊したりしたらマズイし、うん。
「うん、伊藤君が来てくれて助かったよー、お願いねぇ」

いっそ幼い位の笑顔で歩いていく海野先生の背中を見送ると。
ジャケットを脱いで近くの棚の上に置いて、シャツの袖を捲くり上げて、とりあえず。
目に付いた場所の本から、集め始めた。




実は。
こうやって、集中出来る何かがあるのは、今の俺にとってはすごく助かる。
俺の方こそ、先生にお礼を言いたい位に。
身体を動かしてひとつの事に集中していれば、余計な事を考えなくて済むから。
出口の無い迷路の様な、ぐるぐる渦巻く悩みに囚われずに済むから。

こんな事、誰にも話せない。例え和希でも、絶対に言えない。
…同じ、男の人を。好きに、なってしまったかもしれない、なんて。
言えっこない。
その上、あの人の隣には、今までもこれからも、ずっと…華やかで綺麗な人が立っているんだろうから。
あの人にとって、隣に立つその人の存在は指針だから。
絶対だから。
容姿から性格から、その人が女王様と呼ばれているその理由も、分かるから。
そんな人相手に、平々凡々な俺が太刀打ちしようなんて思う事の方が馬鹿で。

俺が苦しい時に、傍で支えてくれた人。
不思議な、銀色の髪の毛と深い紫色の瞳を持つ人。

学生数150人程度の学校とは言え、大学の様なシステムで動いているせいもあってか、
同じ学年でもなければ、そうそう簡単に会えるものじゃなくて。
会おうと思って探さなければ、会えるものじゃなくて。
…もう何日、貴方に会っていないかな。
だからと言って、当たり前の様に隣に並ぶ西園寺さんの姿を思えば、じりじりと胸が痛む。
醜い心は知られたくなくて、自分から進んで会いに行く勇気もないけど。



 * * * * * * *



何度も何度も、研究室と書庫を往復して。
散らばった紙も、一枚一枚先生と確認を取りながら、必要なものとゴミとに分けて。
漸く片付いた頃には、日もすっかり落ちてしまった。


「終わりました、ね…」
「うん!お疲れ様っ、伊藤君のお陰だよ、本当にありがとね!…はいっ、ココアっ」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたマグカップを受け取って、椅子に座った。
ふんわりと広がる甘い香り。
でも、あの人の淹れてくれる紅茶とは、別の香り。
あの人の淹れてくれる紅茶は、こんな風に甘さだけでは無い、ふんわりと優しさも混じった香り。

「そうだっ!伊藤君、帰る途中でトノサマ見かけたら、部屋片付いたから戻ってきても良いよって伝えてくれる?」
「…そう言えば、トノサマ居なかったですね」
「うん。何か色々と倒しちゃって、薬掛かっちゃったりしたら危ないから〜」
「危ない様な薬、作ってたんです、か…?」
「え〜?それは企業秘密だようっ!」

…俺の飲んだココア、中身は大丈夫だったかな…。
 


トノサマ宛の伝言を預かって、生物研究室を後にする。
程良く疲れた身体で、ゆっくりと、既に人の気配の無い昇降口まで来て。
この分なら今夜は何も考えずに、すぐ眠れそうだ、と。
少しほっとしている自分に、苦笑いが漏れる。


「ぶにゃ〜っ」
「おや、伊藤くん。まだ校内に残っていたんですか?」

トノサマと、それから久しく聞いていなかった穏やかな声に呼び止められて。
慌てて振り返れば、にっこりと微笑む七条さんと、そんな七条さんに抱えられたトノサマが居て。
心臓が、跳ねた気がした。


「え、ええと…海野先生の研究室の片付けを手伝ってたら、こんな時間になっちゃいました」
不自然になっていないか、気にしながらもへらりと笑顔を作れば。
「そうですか。お疲れ様でした」
七条さんの笑顔は、ますます深くなって。
「そっ、そうだっ、トノサマっ!」
「ぶにゃ?」
「海野先生が、片付いたから戻ってきても大丈夫だよって」
「うにゃんっ」
声を掛ければ、まるで言葉が通じているかの様に、しっかり返事を返してから。
ひらりと七条さんの腕から飛び降りると、毛足の長い尻尾を左右に振りながら、トノサマは歩いていってしまって。

薄暗い昇降口に、残ったのは七条さんと、俺。二人きり。

「伊藤くん、寮まで一緒に帰りましょうか」
「へ?え、でも、あの…さ、西園寺さん、は…」
「郁でしたら、用があって先に戻っています。…伊藤くんは、僕だけでは嫌、ですか?」
「え!そ、そんな事ないですっ、嫌なんて、そんな事っ…」
むしろ、その方が俺としては嬉しかったり、する訳で。

「良かった。では、行きましょうか?」
七条さんの笑みが深くなって、それに見惚れている間に右手を取られた。
「し、七条さんっ?!」
「嫌、ですか?」
「いっ…嫌とかじゃなくて、……ええとっ…」
「外は大分暗くなってきていて、危ないですから。…色々と」
偶然にも、こんな場所で会えて。
西園寺さんも、和希も居ない、本当に本当に二人きりで。しかも、手を繋いでいて。
それは…出来たら良いな位は思っていたけど、
予想もしていなかった急な展開に、俺はかなりパニックしていて。

緊張の余り震える足を、心の中で叱り飛ばしながら。何とか前に進む。
相変わらず、七条さんはにこにこと笑いながら俺を見ていて。
何か。何か、話さなければ。

「あ、あの!今日は随分遅かったんですね。会計部、忙しいんですか?」
「いいえ、忙しくはないのですが…、考え事をしていて。なかなか作業が進まなかったんですよ」
「考え事、です、か」
「ええ」

七条さんは躊躇ったのか、それでも少し間を空けた後ゆっくりと話し始めた。

「それまでは毎日会って話をしていた人が、ある日、突然顔すら見せてくれなくなってしまって。
 もしかして僕は何か粗相をしてしまったのかなあ、とか。気に障る事を、してしまったのか、とか」
「そうなんですか?あれ、でも…会ってない…って」
西園寺さんとは、毎日会って、毎日同じ部屋で仕事をしてるじゃないですか。

心が感じた小さな疑問は、けれどその後続けられた七条さんの言葉に、揺られて消えてしまって。
ただ、痛みと緊張だけが残る。

「…とても可愛らしい人で、真っ直ぐで。
 いつの間にか僕は、同性であるその人の事を特別な存在として想う様になっていて」
彼はそれに気づいて、嫌になって逃げてしまったんでしょうか、と。
周りが薄暗くて表情までは見えないけれど、どこか、寂しそうな声色。

「嫌われて、しまったのかもしれません」
繋いでいた七条さんの手に、くっ…と少しだけ力が入った気がした。



瞬間、俺は思わず七条さんの前に飛び出した。

「そんな事!そんな事、ないですよ!七条さんは俺から見たって、背も高くて格好良いと思うし!
外見は勿論、優しいし頭も良いし!…っ、七条さんを好きになるならまだしもっ、嫌いになる人なんて居ませんよ、絶対!」

笑顔なんか、見惚れちゃう位綺麗で。凄く優しい。
パソコンを操る、長い指も。紅茶を淹れている後ろ姿も。伸びた背筋も。

「そうでしょうか」
「そ、そうですよっ!俺だってっ………あ、ぅ、……な、何でもないです…。
 ええと……と、とにかく!絶対嫌われてなんて、無いですよ!」
興奮して、危うく余計な事まで口走りそうになって。慌てて口を噤む。

「伊藤くんが、そう言ってくれるなら。僕は自信を持っても大丈夫なのでしょうか」
「はい!絶対絶対、大丈夫です!俺が保障します!
 …って、あれ?俺が保障しても何にもならないですよね、あはは…」

これで。
俺は、今まで以上に貴方を見ていられなくなるけど。
良く良く考えてみれば。
その時七条さんは、俺に、好きな人の話をしている訳で。
その相手が西園寺さんでも、そうじゃなくても。
俺じゃない誰かを好きな七条さんの想いを応援するって事は、嫌でも失恋した自分を認める事。
こんな風に手を繋ぐことも、二度と無いんだ。
…今更だけど俺ってば、馬鹿だなあ。

すぐにでも走り去ってしまいたい気持ちを隠して、何とかその場に踏みとどまっている俺に。
向かいに立つ七条さんが、ふんわりと微笑みかけた。

「いいえ、とても心強いですよ。
 …それでは、伊藤くん、明日は会計部に来てくれますか?明日からは、また僕に会ってくれますか?」




「………ふ、え?」



喉の奥から、間抜けな声だか息だか…が、漏れた。


「もうずっと、君が会計部に来てくれなくて。僕は、寂しくて仕方が無いんです」
ゆるりと、七条さんの両方の手が俺の腰に回される。

「毎日、一生懸命、少しずつ。僕の気持ちを伝えてはいたのですが…」
紫の瞳に間近に覗き込まれて、一気に血が頭に上って来る。
七条さんの恋愛の相談に乗って、俺はもう七条さんを諦めないとけないんだと、思って…?
でも、七条さんが好きな相手は…?

「そっ、そんなっ…え、だって、俺全然……気持ち、って…」
「気づきませんでしたか?」
「気づくって、そんなの、だって……」
一体、いつ。どんな風に。
回らない頭で、必死に思い出そうとしても、何一つ、言葉一つ、思い当たることはなくて。


「好きですよ、伊藤啓太くん。君は『絶対に大丈夫』と言ってくれましたが…
 それでも、僕は君の気持ちを聞きたい。君の、声で」

混乱している俺を、そっと抱きしめて。七条さんは、耳元で低く。
それはもう、艶やかで滑らかな声で、囁いた。

「……う、わ…」
「啓太、くん?」
「……あ、う………お、俺、も…」
「はい?」

七条さん、聞こえていない筈は無いのに!もしかして仕返しですかっ?
大きく、一度息を吸い込んで、覚悟を決める。


「…俺、も…し、七条さんが、好き…ですっ…」
「ふふ、良かった。伊藤くんの勘は、当たりましたね」
「勘…って…」
俺は、こんな短時間に、まるで一生分の気力を使い果たした気分で。
一気に力が抜けて道路にへたり込みそうになったところを、大きな手が支えてくれる。

「ああ、大丈夫ですか?」
「は、はい…」



「明日からは、毎日、一緒に居てくださいね。
 …何なら、今日これから、このままずっと一緒に居るのも良いですねえ」
こめかみに唇を寄せて。
ちゅっと小さな音を立てて押し当てながら、甘い声で囁く七条さんの腕の中。


俺は、じわじわと寄せてくる幸福感に身を任せていた。



+++++++++++++++



も、申し訳ありませんっっ…!!<土下座
遅いとか、一体いつから書いてたんだとか、色々突っ込み所はあるんですが。
何より、どこが『ほのぼのv』か!!

高嶺様に相互リンク記念としてお話を頂いたので、是非こちらからもお返しを…と
無理やりリクエストを貰いました(笑)
初めはもうちょっと違う話だった気もするのですが…何やら最近周りで片思い話が多く。
自分自身の中でもブームになっていたり。気づいたら、こんな。
何かチガウ…と、別にもうひとつ制作したのですが、こっちがまたアレで;
両方とも一度高嶺様に確認をお願いして、最終的にこちらのお話を引き取って頂くことに。
お嫁に出たコレは、高嶺様の所の七条さんが生涯可愛がって下さるそうですvv
頑張れ、啓太vv
…と言う事で、このお話は高嶺様に捧げますv

高嶺様、お待たせしてしまって申し訳ありません;
こちらこそ…どうか見捨てないでやって下さいませ〜っ<必死







+++++++++++++++++

ということで吾妻様から強奪・・・いえいえ、頂きました。
無理矢理だなんてとんでもない!
頭を下げてへつらって、リクエストはと聞かれたときには即座に・・・(笑)
私も物書きの端くれ。リクエストが抽象的なものだと書きにくいとはわかっておりながら、
リクエストは『七啓ほのぼの!』
バカか私は・・・・。
それをこのように形にしていただき、何度お礼を言っても足りない程です・・。
しかも二つも・・・。選択肢を頂き、小一時間悩んでしまいました。
それにしても。
こーゆーのが書きたかったのよ私はぁっ!と、思わず悶えてしまいます。

はい。これはうちの七条にいただけるということで、良かったね、臣さん。
あまり啓太をいじめすぎないように、生涯可愛がってあげてください。

見捨てるなんてとんでもない!
私こそ、一生ついていきます!!
どうぞこれからもよろしくお願いいたします〜。
吾妻さまのサイトはこちらです。