+++++++++ すでに外は暗く、月が全ての世界を支配している。 その支配に逃れている場所では、人工灯が煌々と全てを照らしており、 心の休まる場所はない。 それでは何故啓太がこんなところを歩いているのかといえば。 「うーん・・・・どうしようかなぁ」 昨日中嶋に仕事関連で連れてこられたホストクラブの店の前で、啓太は立ち尽くした。 妙に分厚い財布が今はカバンの中に入っているはず。 七条さんのお財布だから返さなければならないのだけれど・・・。 ・・・流石に一人で入る程、まだ度胸がない・・・。 誰か人が出てきてくれれば大変助かるのだが、見たところそんな感じもない。 どうしたものか、と、眉をさげる。 がごん、と重たい音が後ろでして、思わず肩を震わせた。 中は賑やかだろうが、この時間、近辺に人はほとんどいない。 慌てて後ろを振り返ると、自販機の光が道路を照らしていた。 道路だけではない。銀色の髪をも、反射させている。 その顔には、覚えがあった。 「し、七条さんっ!」 慌てて啓太が名前を叫べば、男がゆっくりと振り向く。 「・・・・伊藤君?どうしたんですか?」 アメジストの瞳がゆっくりと細まるのを見て、 啓太は安心したようにそちらへかけていった。 ぱたぱたと七条の目の前まで行けば、やっぱり七条は背が高くて、少し見上げなければならない。 七条が笑みを深くしたのが、何となくわかった。 「俺、七条さんに届け物があって、でもお店まで入るわけにもいかなくて・・・」 「僕に、ですか?それは嬉しいですね。 ですが、どうして中まで入れないんですか?」 「だって、ただ落し物を渡しに来ただけなのに・・・」 「そうですか?」 七条が、少し考える素振りをしてみせる。 その間に、啓太がカバンから財布を取り出そうとしたが。 「・・・それでは、僕と二人なら、構いませんよね?」 「え?あ、はい」 何故か行動を制するように言葉をかけられてしまい、呆けた声を出してしまう。 了承するような言の葉に、七条がまたにっこりと笑って、啓太の手をとった。 「休憩所があるんです。今の時間暇なのは僕くらいなものですから、どうぞ」 「え?あ、えと・・・」 「こっちは、関係者用の入り口ですから、人に会うことはまずありませんよ」 この時間は、丁度人が来るから稼ぐにはもってこい。 ・・・ではあるものの。 生憎七条はこの仕事を気に入っているわけでもないし、金だって十分ある。 なあなあでこの仕事を続けていたわけであるから、今日はどうせだし休みを取っているのだ。 熾烈な客取り争いに参加してこの可愛らしい彼を逃がしたなんて、 そんなバカげたことは出来ない。 鍵を開け、中へ入る。 「そこに座っていてくださいね。ちょっと待っててください」 「あ、はい」 啓太を近くの椅子に座らせた七条は、ロッカーへと歩いていく。 「・・・ああ、そうだ」 「?」 「先ほど買ったんですが・・・それは、君に差し上げます。飲んでいて良いですよ」 イチゴミルク? どうしてこんなものが・・・とは思うけど、嫌いじゃない。というか、むしろ大好きで。 缶を渡した七条が、またロッカーへ行き何かを取り出しているのを横目に、 どうせだからと缶のプルタブを開けた。 ふわりと漂う、甘い香り。 「七条さんは、イチゴミルク、好きなんですか?」 「そういうわけでもありませんが、甘いものが好物なんですよ」 「そうなんですかっ!俺も、大好きなんですっ」 「ふふ。良かった。苦手だったらどうしようかと、心配しました」 以前啓太が来店していた際啓太と話していたのは馴染みのホステスで、 少し若いが話はある程度できる相手だ。 啓太の好みを彼女に聞いておいて良かった。 イチゴミルクが大好きで、甘いものが好きで、カレーが好きだなんて、 なんてなんて可愛らしい。 コートを羽織る。 「七条さん?」 「ここでは、ゆっくりお話も出来ませんから。 ついてきてください」 ジュースを一本飲んでいる間に、 支度が終わったのだろう七条が、啓太の前に立ち、にっこりと笑った。 差し出された手と七条の顔を交互に見比べる。 手の意味がわからない。 まさか荷物を渡せというわけでもないだろうし、 それでは・・・・荷物? 「ああ!」 荷物ではないけれど、財布を返せということだろう。 やっと本題を思い出し、カバンから財布を取り出そうとする。 「そういえば・・・」 七条がカバンを開ける手を遮るように、声をあげた。 啓太がきょとりと顔を上げる。 相変わらず、七条はにこにこと笑っている。 「美味しかったですか?ジュース」 「え?あ、はい」 「良かった。それじゃあ、行きましょうか」 「はあ・・・」 何だか騙されてるような気がしないでもないけど、まぁ別にいいかなぁなんて、 啓太は思わず手を出してしまった。 嬉しそうに笑った七条がそのまま手を引く。 「ここから少し遠いんですけど・・・わざわざ僕を訪ねて来てくれた伊藤君のために、 とっておきの紅茶をご馳走しますよ。 紅茶はお好きですか?」 「え・・・えっと・・・」 「嫌いですか?」 「嫌い、じゃないんですけど、詳しくはなくて・・・」 「大丈夫ですよ。紅茶の知識なんて、美味しさには関係ありませんから。 とびきり美味しいのをご馳走します。ケーキもありますよ」 車の鍵をあけ、車のドアを開けた。 話の途中だった所為か、なんら気にせず助手席に乗ってしまう。 しっかりと確認してドアをしめて、七条も運転席へ座った。 エンジンをかける。 「ケーキですか?わ、いいんですかっ!?」 「勿論です。一人で食べるのは、寂しいですからね」 「わあ、ケーキなんて久しぶりですっ」 「そうなんですか?」 「男一人でケーキ買うのは少し恥ずかしいですし・・・。 家に戻ったとき、朋子・・・妹と食べたのが最後だったかなぁ。 七条さんは中嶋さんのこと知ってるんですよね? 中嶋さん甘いもの嫌いじゃないですか。だから一緒に食べてくれないし・・」 「ふふ。大変ですね」 「はい。七条さんは、そういうの困らないんですか?」 目の端に、町の光が映っていくのを見ながら、啓太は七条を見上げた。 七条の目元が緩む。 「僕は、一人でも買いに行きますし・・・。 それに、色んな人たちがくれますから」 信号が赤になり停止させる。 啓太を見れば、相変わらず七条の方を見ていて、 本当に可愛らしい子だと内心でほくそえむ。 「七条さんに・・ですか?そういうイメージなさそうなのに」 「僕は甘いものは好きですが、そういう趣向は皆にはナイショなんです。 だから伊藤君も、ナイショにしてくださいね?」 人差し指をそっと唇に持っていってポーズをとれば、 それがあまりにも決まっているものだから、啓太が頬を染める。 満足そうにそれを目の端で確認してから、また車を走らせた。 「ナイショ・・・なんですか?」 「ナイショ、なんです。 だって、僕の全部を話してしまったら、面白くないですし、逆に面倒じゃないですか」 「・・・はぁ・・そういうものですか?」 「僕は、そういうものですね。 友人にとても美人な人が居まして。 彼は甘いものが嫌いなのですが、容姿が下手な女性よりも綺麗なものですから、 僕とは逆の、所謂"甘いものが好きそうな顔"をしているので、 男性方からそういうものを頂く機会が多いんです。 先も言ったとおり彼は甘いものが嫌いですから、その分を僕がもらっちゃうんです」 「へー・・・あ、でも・・・大丈夫なんですか?そういうもの、食べても・・」 「変なものが入っていたら、直ぐに分かりますよ。 そういうものに気づくのは、結構得意なんです。 少し食べればわかりますし、ある程度の耐性もありますから」 「すごいですね」 「ふふ」 どの辺りがどうすごいのか・・・というよりもどう考えても妖しい会話ではあるけれど、 啓太の瞳を見れば純粋に言っていることが見て取れる。 「それに・・面白くないですか?」 「面白い?」 「エッチになっちゃうお薬なんて、不思議で面白いじゃないですか。 自分じゃ簡単には手に入れられませんし」 面白いか?とか、簡単じゃなければ手に入れられる方法があるのかとか、 色々な疑問があるけれど、それは言葉に出来なくて、 啓太はただ『はは・・』と苦笑い。 「面倒くさいですから」という七条の言葉は・・・啓太の思考のどの部分に対する言葉だか。 「さあ、つきましたよ」 車が地下の駐車場に入り、促されるまま啓太も車のドアから出る。 財布の話題に一切触れていないことに気づいたのは、 七条とマンションの入り口を入ったときである。
|