[愛してる。]






人間とは、他者と共存して初めて生きている人間である。

一人では弱く、生きるために、言葉というコミュニケーション手段を発達させた。

人間が狩る動物達よりも弱く、高等な生き物。

それ故に、

思慮深い。

それ故に、

考えてしまう。

それ故に、

己を傷つけるのだ。



と、勿論そこまでは西園寺の自論であり、それを他者に押し付けるつもりはさらさらない。

押し付けがましい人間は、西園寺自身が嫌いである。

だけれども、うじうじと考える人物――・・・つまり目の前にいる銀髪――も、同格に嫌いだ。

悩む、ということは好ましくない。

恋に悩むと言えば、もしかしたら女性には受けるのかもしれないが、

生憎と西園寺は容姿とは正反対に、女性とは程遠い性格をしている。

悩むならば勝手に悩めと人は言うけれども、

そういう奴等は大抵、二人きりの部屋でずっと黙っていられるという退屈さを知らない人物だ。

退屈は、ときには拷問にもなりうる。

ただの沈黙、及び静寂は、西園寺は好きだった。

喧しいよりも、静寂は好ましい。

相手が、啓太や七条・・・つまり気に入った人物が側に居ての静寂は、

何にお金を使うよりも至高の贅沢。

だけれども、これの場合は話しが違う。



ぱたりとそれまで退屈しのぎに読んでいた本を閉じ、

西園寺は緑の真っ直ぐな緑の瞳で前を見据えた。

目の前には七条が居て、ただ微笑んでいる。

七条の『微笑んでいる』というのは、呼吸していると同意語であるので、

この場合は何もしていない――・・・いや、ボーっとしていたというのが正しいのだろう。



「臣」



静かな部屋に声が響く、その不快さは、多分誰も知りえない。

外では随分激しく雨が降っており、湿度が不快さを最高潮まで高めてくれる。



「はい、郁」

「どうして、お前はここにいるんだ」

「・・・・どうして、とは?」



一々帰ってくる静かな声が、癇に障る。



「啓太はどうした。いつも一緒に居るはずの啓太は」

「・・・ああ。伊藤君ですか」



低い、だけれども透明な声が。

ただ淡々と事実を音として吐き出す。



「・・・彼が僕を拒絶したので、僕は彼に近寄れなくなりました」



そう。

それは事実。



「・・・啓太が?」

「僕が拒絶されて落ち込む相手は、伊藤君か郁しかいませんよ」



いつもの笑顔。

他者が見れば、いつもと何が違うといぶかしむくらいに、寸分の隙もない、

ただのニセモノ。



静かに笑う七条と、啓太が七条の隣にいないということで、

何かがあると踏んだのだが、まさかそうくるとは思わなかったようである。

西園寺がいぶかしむが、七条はそれが事実だと言った。



「・・・お前は、私が拒絶してもそんなに落ち込むのか?」

「・・さぁ・・・。拒絶されたことがないからわかりません」

「私は断言できるがな。

お前は私がお前の存在を否定したところで、啓太がそれにさらに否定を重ねれば、

お前は私の言葉など意にも返さないくらい喜ぶだろう」

「それは、仮定の話ですよ、郁」

「事実の話をしているんだ」

「どうして事実だとわかるんですか?」

「まぁ、伊達にお前と長い間付き合ってきたわけではないということだ」



軽く肩をすくめ、目の前においてあった冷め切ったカップを取る。

冷めた紅茶は香りも高くなければ美味しくもない。

だけれども、もう一度作り直させるのも面倒で、水を飲むように流し込む。



「・・・臣。お前、それで良いのか?」

「それで、とは?」

「おそらくそれは、啓太の中で何らかの誤解が生じているのだろう。

それを解してやらないことにはお前達の関係が修繕されるとは到底思えないが、

まず、啓太と話をすることが先決だろう」

「・・・」

「そうやって、いつまでも殻に閉じこもるな。

私はお前の親代わりになったかもしれないが、啓太の代わりになる人間は存在しない」

「なら郁は、また僕に伊藤君に拒絶されて来いと言うんですか?」

「必要ならば、私はそれを提案する。

それともお前は・・・本当にこのままで良いのか?」

「・・・」



アメジストが、西園寺を貫く。

あの時、遠藤に向けていた瞳が、まさか自分に来るとは思わなかった。

高校になっても人格矯正は可能なものなのかと、何だか変なところで感心してしまう。



「何も啓太に言わないで、終わって良いんだな?

気持ちを伝えるのと言葉にするのとでは違う。

お前はまだ啓太に何も伝えてないんだろう。

どうしてそこで終わりにしようとするんだ」



どうして、そんなに怖がることがある。



「いつまでも、ただの先輩でいたいわけじゃないんだろう?」



啓太を逃して・・・果たして、こいつは笑えるのか。

問題はそこだ。



「何も伝えないで将来啓太の思い出の中からすら存在が消えるくらいなら、

お前の心情の全てを吐露して、

振られたところで啓太の一生に残るインパクトを残してくればいいじゃないか」



お前が傷つくところは。

もう、見たくないんだ。



親友に対する心底な願いは、だが本人に届くことはない。

二人は対峙している。

ぼつぼつと外では雨が降る。

鬱陶しいと自然界のものにまで文句を言いたくなり窓を見た。

会計室の窓に大量につく雨粒。

それを見るだけでも気が滅入りそうで、カーテンを閉めに立った。

この雨の中帰るのも億劫で会計室に閉じこもって収まるのを待っていたのだが、

収まる気配もないし、自室に帰ることも考慮にいれるかと一瞬窓の外を見て。

西園寺の緑の目が極限に開かれる。



「臣!」

「はい」

「傘を。それから、タオルだ」

「・・・はい?」

「今、すぐにだ。啓太を連れ戻して来い。

逃げられたら抱き上げてでも良い」

「・・・何を・・・」

「啓太に風邪をひかせたくなければ、早く行け。

それとも・・・・何もせずに、全てを諦めるか?」



ぼつぼつと。

雨は音を立てる。



「お前の人生はお前が決めろ。

ただ、私は忠告する。

啓太を逃せば・・・お前は人生の大事な転機をふいにすることになる」

「・・」

「啓太を好きなんだろう、お前は!」



くるりと七条が後ろを向いて走り出してしまった。

親に叱られた、子供のようだ。



「・・・っの馬鹿!」



タオルも何も持っていかなかった七条に罵声を浴びせる。

啓太は雨の中濡れているというのに。

暖かな言葉と暖かな場所を求めているのに。



「もう、私は知らないぞ」



むくれたように言いながら、それでも紅茶を淹れるために、お湯を沸かしにいった。





+++++++++++++





あの人を、拒絶した。

拒絶という言葉は、正しくないのかもしれない。

だけど・・。

だけど、あまりにも悔しかった。

あまりにも、切なかった。



『郁』という存在が、

あの人には、あまりにも大きすぎた。



違う・・。

そうじゃない。

あの人が悪いんじゃなくて。

そうじゃなくて・・・。

・・・ただ、俺が嫌だったんだ。

それは醜い嫉妬心。

ただの友達がこんなこと言うのは、絶対変だってわかってる。

だけど。



啓太が雨の中、きゅと胸の辺りを掴んだ。



七条さんが好きだという気持ちは、随分育ってしまった。

お日様のような笑顔が、たくさんたくさん育ててくれた。

種は芽を出し、花を咲かせてしまった。

花が咲けば後は実をつけてしまう。

実をつけてしまったら・・・辛いのはわかってるのに。

だって、今でもこんなに辛い。



時はさかのぼること数十分前。

それはいつもどおり、暖かな光景だった。

空は泣き出しそうな寸前だったけれど、まだ雨は降らず。

西園寺の勧めで東屋で休んでいた啓太は、しばし七条との会話を楽しんでいた。

所謂、日向ぼっこという奴だ。

七条は西園寺の許可を取ってきたというが、その辺りの真実はわからない。

ただ七条は啓太の手をひき、まるで大事な人に対するかのようにエスコートを始めた。

もっと暖かなところに行きませんか、と。

校庭は広く、ベンチもいくつか備わっている。

その中の一つに啓太を座らせると、七条も隣に座った。

空は曇り空だけど、時折覗く太陽が校庭を暖めていく。

今日の気温もそんなに寒くないし、ちょっとの間なら。

雨が降りそうだからと校庭には人はおらず、丁度二人きりの状況。

互いに恋心を抱きながらの二人であったので、二人きりの時間に喜んだ。

啓太が話して相槌を打つのは七条だったりするのが常のパターンだったのだが、

啓太が眠そうにしていたので、本日ばかりは七条が話し役を買って出た。



『・・・・どうしたんですか?伊藤君』

『・・・え・・・?』

『・・・どうして、泣いているんですか?』



いつから泣いたんだろう。

ただ、いつの間にか涙が出ていた。

あんまりにも、七条の口から西園寺の名前が出て、

それで、あんまりにも楽しそうに話すから。

最初はただとろとろと会話に相槌を打っていたのだが、

だんだん、胸が苦しくなって、ああ、この人、本当に西園寺さんが好きなんだて思ったら、

なんか・・・泣きたくなって。

いつの間にか、本当に泣いていたみたいだ。

涙を拭おうと触れた七条の手を、啓太は何故かはらってしまって。

驚いた七条に追い討ちをかけるように、啓太の目からぼろぼろと涙を零して。

全身での拒絶に気づいたのだろう、七条はそれ以上何も言えず、何も出来ず。



結局、そのまま、すいませんと一言残して去っていってしまって。

啓太はそこから動けないまま、

いつの間にか、空は啓太の代わりに号泣を始めてくれて、

啓太自身でも泣いているのかわからなくなっていた。



「・・・」



ぼうっとする。

頭が、くらくらする。

失恋・・・・しちゃったなぁ、なんて、今更だけど再確認して、

笑ってみた。

・・・こういうときって・・・上手く笑えないもんなんだなぁって・・。



「・・・っふ・・・」



嗚咽が漏れて、だけど嗚咽も雨が上手く隠してくれて。

そうなると、雨の庇護をいつまでも受けていたくなっちゃって。

冷たい雨で頭を冷やすのもいいかな、なんて考えてしまって。



可哀想に、泣き続ける雨を見あげた。

頬にぼつぼつと激しく当たる雨は痛いけど、だけどそれで良い。



「・・・君」



遠くから、微かに何かの音がした。

それでも、体を前に倒し伏せていると。



「何を、してるんですかっ」



ぐいと体をひっぱられた。

ぱちくりと啓太の目が瞬きする。



「しちじょ・・・・さん・・・」

「雨が降ってるじゃないですか・・」

「・・・」



立たせようとした七条だが、啓太がいやいやと首を左右に振って拒んだ。

七条が傷ついたように眉を下げるが、顔を伏せている啓太はそれに気づかない。



「どうして・・・」

「今・・・は、ちょと・・・・。

・・・・あの・・・後で、ちゃんと・・帰りますから・・・」

「・・・」

「・・・あの・・・ほんとに・・」



だから。

手を、解いてと。

言おうとしたら、七条が全力で啓太を引っ張りあげた。

ぐん、と加速がつき、七条の腕の中に入る。



「嫌・・・」

「郁が、心配・・してますから。・・・だから、一緒に・・・会計室まで」



自分が嫌われているのならば、西園寺の名前を出すしかない。

他の男の名など出したくないとばかりに、七条は言葉を搾り出した。



だが、啓太は小さく首をふるのみ。



「・・・・嫌・・・なんです・・・」



これ以上、あの人の名前を聞かせないで。

これ以上、あの人の名前を言わないで。



「嫌、なんです!」



悲鳴に近い叫び。

ぐ、と七条が唇を噛んで。

やおら、自分のソレと啓太のソレを重ね合わせた。

ファーストキスは、酷く冷たい。

味なんてそんなもの当然なくって・・・。

・・・って、そんなことはどうでもよくって。



「何を・・・」

「・・・これ以上、僕を否定しないでください」

「なっ・・・」

「君に嫌われると、僕はとても悲しくなる。

――・・・こんなことをしたくなるくらいに」



目が笑ってない笑みというものを、初めて見た。

ひくりと啓太の喉が引きつったその瞬間に、七条は顎を掴んで噛み付いた。

逃れることは許さない。



「七条・・・・さん・・」

「・・・・何が不満なんですか、君は」

「不満なんて、そんな・・・」

「僕は、君のためならばいくらでも変わることを辞さないつもりです。

君に好いてもらえるなら、どんな人間にだってなります。

だから、僕の不満なところを言ってください」



どんな僕を好いてくれるのか、その一言だけで良い。

そうしたら、いとも簡単に君の理想像に近づいて見せるから。



銀色の髪に水が滴る。

何だか、七条さんまで泣いているみたいだと・・・。

啓太が始めて七条の顔を見た。

苦笑いしている。



「・・・・・・・七条さん、それじゃぁ愛の告白になっちゃいます」

「・・・ダメですか?」

「へ?」

「だめなんですか?愛の告白では」



肩をつかまれた。

それを痛いと思う余裕はなく、ただ、ほうけている。



「・・・僕は、君が好きです。

・・・愛してるんです。

こんな僕を、気持ちごとどうか否定しないでください」

「・・・」



啓太がぱちくりと瞬きをする。



「・・・こんなときに冗談・・」

「冗談なんかじゃないと、どう言ったらわかってもらえますか?」

「・・・・だ・・だって・・・七条さんは・・・西園寺さんが・・・」

「君にも、親友はいるでしょう?」

「・・・・」

「僕の言葉以上に、君は他の人の噂を信じるんですか?

・・・お願いだから・・・僕の言葉を信じてください」

「・・・七条、さん・・・・」



水気を吸ったジャケットは、随分重たい。



「君が好きなんです。

お願いだから・・・・、僕を拒否しないでください」



七条に抱きしめられて、啓太もそろりと腕を背中に回す。



「君が望むなら、僕は郁に一切近寄りません。

会計部をやめても良いし、君の望むままにします」

「そんなこと・・・ッ!しないでくださいっ」

「だから、その代わりに君をください」

「・・・」



ぎゅ、と強く抱きしめられて、啓太の動きが止まる。



「愛してます・・」



ぼつぼつぼつと雨が降る。



触れた唇は、冷たかった。



「・・・・俺も、大好きです・・・」



雨は、冷たかった。

だけど、それでも良いと思えるのは、多分この人が一緒にいるからだろう。





+++++++++++++





くしゅ。

小さなくしゃみをして、啓太は紅茶のカップを掴んだ。



「私は啓太を迎えに行け、と言ったんだが?

それも、『すぐに』と」

「伊藤君を抱きかかえて連れてくるつもりだったんですけどね」



毛布を肩にかけた啓太は、がたがたと震えて寒そうだ。

七条も鼻をすすり、西園寺手製の紅茶を飲む。



「風邪を引いても知らないぞ」

「ふふ・・」

「まぁ、バカは風邪を引かないというから、臣は大丈夫だろうが。

啓太は大丈夫か?」

「っ・・・」

「顔が赤い。熱でもあるんじゃないか?」



とはいえ、こんな至近距離で西園寺の顔を見たら、

誰でもそうなってしまうんじゃないだろうか。

ばふりと顔を真っ赤にした啓太を、西園寺が不審そうに見る。



「ええ、心配なので、伊藤君を送り届けて来ようと思います。

なので郁。どいてください」

「・・・・」



ひょい、とどかされた西園寺は不満そうであるが、

七条は鼻をかむのに忙しく、それどころではない。



翌日から3日ほど。

当然のように二人が風邪を引いたのは、西園寺の予想範囲内ではあったものの、

唐突に生徒会からの書類が大量に届いたのは予想範囲外で。

久々に二人連れ合い会計室に行けば、随分と不機嫌な西園寺に散々からかわれたのだった。





+++++++++++++

えーと、58000hitのキリ番です。
切ない話を希望ということで、
・・・なんとなく、切なく。
本当はもっと短いのでストックもあったんですが、
相変わらず夜明けのベッドで七条独白パターンだったので諦めました(苦笑)
どうしてこうワンパターンなのか。
切ない話になっていますかね。

全て朝さまにささげさせていただきます。
リクエスト、有難うございました。
朝さま以外は転載禁止です。